経理マンが瀧本哲史氏の著作を再読した感想

僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)、『武器としての決断思考』(星海社新書)などの著作で有名な、エンジェル投資家の瀧本哲史氏。2019年8月に逝去されましたが、本屋にいまなお著作が平積みされるなど、強い影響力を誇っています。

これらの著作は20代の若者がメインターゲットであり、私も20代のときに購入して興味深く読みました。最近になって、久々に改めて読み返してみたところ、もちろん良いことがたくさん書いてあり、基本的に同意できる内容が多いのですが*1、ところどころ一経理マンとしては首肯しかねる箇所もありましたので、気になった部分を中心に、少しご紹介したいと思います。

知識・判断・行動の三段階

まずは、改めて読み直してみて、もっとも参考になった内容についてご紹介したいと思います。『武器としての決断思考』に、以下のような記述があります。

実学の世界では、知識を持っていても、それがなんらかの判断につながらないのであれば、その知識にあまり価値はありません。そして、判断につながったとしても、最終的な行動に落とし込めないのであれば、やはりその判断にも価値はないのです。知識・判断・行動の3つがセットになって、はじめて価値が出てきます。(p27)

 

日ごろから、知識を判断、判断を行動につなげる意識を強く持ってください。(p29)

改めて読んでみて、これはとても良い考え方だと思いました。コンサルタントフレームワークとして有名な雲雨傘*2と似ているかもしれません。この「知識・判断・行動」の考え方を常に意識するよう、改めて心掛けるようにしたいと思います。

「教養」には行動が求められるのか

上の文章を読んだときに、「教養」をめぐる議論が頭に浮かんだので、少し脱線するのですが、簡単に触れておきたいと思います*3。『僕は君たちに武器を配りたい』にも「リベラル・アーツで学ぶ基礎的な素養が、投資家として生きていくうえでも、資本主義の仕組みを理解して物事を判断していくうえでも、非常に重要になる(p282)」「大学で学ぶ本物の教養には深い意義がある(p283)」として、教養を身につける意義が説かれています。私もこの意見には賛成です*4

さて、「教養」について語られるときに、「知識=教養ではない」ということがよく指摘されます。これは確かにその通りで、教養と単なる雑学とは異なるものでしょう。そして、ビジネス書の文脈ではさらに一歩踏み込んで、知識は持っているだけでは意味がない、「教養」には行動が求められる、とされることが多いように思います。行動が伴わない知識は、単なる雑学に過ぎないので価値がない、というわけです*5。これは、「知識・判断・行動」がセットになって初めて価値を持つ、とする瀧本氏の考え方とも整合します。

一方、このような言説を見ると、私自身は、仮に行動が伴わなくても、その知識によって新たな視点が得られた、深く考えられるようになったのであれば、それはその人の人生にとって価値があるものであり、単なる雑学的知識を超えた「教養」と呼ぶに十分値するものではないか、とも思うのです。

ちなみに、これは「成長」という言葉についても同じような議論が成り立ち、人の「成長」が、ビジネスの「成長」(=資本主義的な成長)と直結して語られることが当たり前の風潮について、個人的に強い違和感があります

ビジネスの目的は行動して利益を得ることですので、ビジネスにおける価値と人生における価値とが異なるのは当たり前のことです。しかし、ビジネス書を読んでいるとつい混同してしまいがちですので、視野狭窄に陥らないよう注意したい、と改めて感じました*6

決算処理の価値

さて、少し寄り道が長くなりましたが、上で紹介した「知識・判断・行動」の説明において、以下のような事例が出てきます。

…たとえばあなたが会計学を学んでいるとするなら簿記何級を取ったとか、決算処理ができるというレベルで満足してほしくないのです。それは知識を持っているにすぎず、そういう人間はこれからの時代、担当Aとして、会社の都合の良いように使われるだけで、自分の人生を自分で切り開くどころか、会社の業績次第では真っ先にクビを切られます。(p27)

ここは、経理マンとしてはちょっと気になる記述です。そもそも簿記の知識があるだけで、決算処理はできるのでしょうか。

これが全くの誤りであることは、経理実務の経験がある方であればお分かりだと思います。

知識があるだけでは決算書は作れませんし、そもそも決算書には経営者の判断が介入します。会計学の世界では、財務諸表は「記録と慣習と判断の総合的表現」であるとも言われ、決算書を作るにあたっても判断が必要になるわけです。

もちろんこの事例においては話を単純化しているのだと思いますが、一流のビジネスパーソンと言われる人でも、会計に対する認識はこの程度であるのが現状なのかもしれません(なお、もちろん例外もありますので、この後紹介します)。最近流行りの「AIによって経理の仕事がなくなる」という主張にもつながる安易な考え方であり、一経理マンとしては残念な限りです。

とはいえ、最終的に具体的な行動にまでつなげないといけない、という指摘自体は有益であり、以前こちらのエントリーなどでも書いた通りです。当書の中では、具体的に以下のようなアドバイスがなされていますので、続けて引用します。

では、どういった人材を目指すべきか?自分が作った決算書をもとに…ビジネスの判断に役立つ会計知識を提供できて、はじめて人材としての価値が出てきます。でも、それだけではまだ不十分。「こうしたほうがいい」「こうすべきだ」といった提言・提案からもう一歩進んで、具体的な行動に移すところまでいかなければなりません。(p28)

稲盛和夫氏の会計に対する考え方

経理業務が軽視されることが多い昨今ですが、経営者として著名な稲盛和夫氏は、その著書『稲盛和夫の実学 経営と会計』(日本経済新聞出版)において、以下のように述べていますので、紹介します。

経営者自身が会計を十分よく理解し、決算書を経営の状況、問題点が浮き彫りとなるものにしなければならない。経営者が会計を十分理解し、日頃から経理を指導するくらい努力して初めて、経営者は真の経営を行うことができるのである。(p42-43)

 

経理部門のメンバーは全員、つねに正々堂々とフェアな態度で筋を通すようにすべきなのである。また経理部門内に卑怯な考え方やふるまいが決して認められないような雰囲気をつくり、社内でも一目置かれる存在となるようになるべきなのである。(p140)

稲盛氏は超一流の事業家、経営者だと思いますが、経理部門の役割を高く評価し、さらに経営者が会計を深く理解する必要があると述べているのは、一経理マンとしても嬉しい限りですので、ご紹介しました。もちろん、経理部門はこういった期待に応える努力をしていかなければなりません。

監査業務のコモディティ化

続いて、『僕は君たちに武器を配りたい』では、会計士の仕事について言及がありましたので、少し見てみたいと思います。

会計士といえばいわゆる「士」業の中でも高収入とされているが、実はこの監査という仕事は、「コモディティ*7の業種に分類される。なぜかといえば、監査を依頼する会社側からどこの事務所に頼んでも、受けられるサービスが同じだからである。サービスが同じ、ということはダンピング競争になるということだ。(p152)

 

4大監査法人のサービスは、基本的に同じだ。違っているのは値段だけ。その値段も、ほとんど「会社の立地」で決まっているといって過言ではない。東京駅の駅前にあるトーマツがいちばん高く、飯田橋にあるあずさがいちばん安いという、非常に分かりやすいプライシングなのである。(p152-153)

さて、この記述はどうでしょうか。(2011年の書籍であり内容が一部古くなっている点はさておき)なんとなく納得してしまいそうな話ですが、よく考えるとおかしな話です。そもそも、監査のサービスがどの監査法人も同じで、あずさの価格が一番安いのであれば、論理的に考えると、どの会社もあずさに監査を依頼するのではないでしょうか。

もちろん現実にはそうなってはいません。監査業務を提供する会計士のリソースには限りがあるからです。よって、監査報酬が一定水準以下に下がることはなく、監査報酬の値下げ圧力は強いとは言え、この書籍が出版されて約10年間、大幅に監査報酬が下がったという事実はありません*8

いずれにせよ、「監査業務はコモディティ化するので、会計士試験に合格して監査法人に入っても将来はない」といった趣旨のことが述べられていますが、実際には監査法人は慢性的に人手不足であり、今でも世間一般と比べて悪くない給料を貰えると思います*9。また、会計士に限らずですが、若いうちに何らかの専門分野を持っておくことは、(それがいずれコモディティ化するものであったとしても)十分に価値があることだと思います。

会計士においても、…その資格を手にすること自体には、ほとんど意味がない(p165)」と言い切ってしまうのはさすがに扇動的すぎるのではないでしょうか。

儲かる会計士は「節税商品」を作る?

さらに、『僕は君たちに武器を配りたい』では、儲かる会計士について、以下のような記載があります。

最近の会計士の業界で、いちばん儲けているのは、企業向けにそれぞれカスタマイズした「節税商品」を作っている人々だ。…税制と会計に専門知識を持ち、企業に合わせて節税商品を作れる会計士は、コモディティにならないのである。(p160)

このような節税商品を作る仕事は確かに儲かるのかもしれません。しかし、これは税制のグレーゾーンを活用して国に納める税金(つまり国民の取り分)を減らしているだけのゼロサムゲームであり、世の中全体についてみれば、何らの価値も生んでいない仕事のように思います。確かに頭の回転が速くて賢い人でないとできない仕事かもしれませんが、これが会計士の目指すべき姿なのであれば、なんとも残念な話です。

せっかくであれば、たとえば社会に大きな価値を提供しようと奮闘しているスタートアップ企業において、会計の専門知識を活かして資金調達や経営管理面で活躍するなど、もう少し社会的意義のある仕事について語ってほしかった、というのが一経理マン、一会計人としての率直な感想です。

さらに言えば、これからの世界ではエキスパートは生き残れない、とする当書での以下の主張とも矛盾しているように思いました。「税制と会計に専門知識を持ち、企業に合わせて節税商品を作れる会計士は、コモディティにならない」とのことですが、これは専門知識を売りにするエキスパートの一種ではないのでしょうか。

エキスパートとは、専門家のことを指す。…しかしこれからは、生き残るのが難しい人種となる。エキスパートが食えなくなる理由は、ここ10年間の産業のスピードの変化がこれまでとは比較にならないほど速まっていることだ。産業構造の変化があまりにも激しいために、せっかく積み重ねてきたスキルや知識自体が、あっという間に過去のものとなり、必要性がなくなってしまうのである。(p117-118)

瀧本氏の言葉を借りれば、これはエキスパートではなくて「スペシャリテ*10なのだ、ということかもしれませんが、いまいち違いが分かりませんでした。

読み返した全体的な感想

今回紹介した書籍は、瀧本氏の京都大学における授業をベースにした本ということですが、共通するメッセージとして、「日本社会は非情かつ残酷であり、これから社会に出る若者はゲリラ戦を生き抜かなければならない」という考え方がベースにあります。京都大学に通う高学歴の学生ですら、「ゲリラ戦」を戦わなければならない、というのは残念な話です。

せっかく(将来的には)世の中の仕組みを変えられる可能性がある立場にいるのだから、むしろ「正規軍的な方法で」日本社会の根本のルールや仕組みを変えるように導く方が本筋ではないか、と思ったのですが、どうでしょうか。本来、社会的に必要な仕事が、なぜ「コモディティ」になってしまうのか、それこそを問題にすべきであるところ、結果として瀧本氏のメッセージは、(高学歴の)個人が現代の日本社会で「コモディティ化」せずにうまく立ち回るための処世術に留まってしまっているようにも感じました。

また、『僕は君たちに武器を配りたい』では、よく「本物の資本主義」という言葉が出てきます。私も興味を持っているテーマであり、「本物の資本主義」とは何かという問題意識を持って再読してみたのですが、結局「本物の資本主義」というのが何であるのか、残念ながら最後まで良くわかりませんでした*11

『武器としての決断思考』の帯には「20代に読みたい本No.1!!!」と書いてあるので、これらの書籍は20代の若い層がターゲットになっています。30代半ばの人間が読むと、少し引っかかる箇所が出てくるのも当然かもしれません。

以上、少し辛口なコメントもしてしまいましたが、冒頭でも述べた通り、(特に20代の方にとっては)読んで決して損になる書籍ではないと思いますので、30代になってから改めて読んでみた感想ということでご容赦ください。

*1:約10年前の書籍であり、AI(人工知能)にはほとんど触れられていませんが、今読んでも十分通用する内容だと思います。

*2:事実(雲)、解釈(雨)、アクション(傘)を区別し、「So what?」「Why so?」といった問いに明確に答えられるようにするためのフレームワーク

*3:ただし、「教養」とは何か、というテーマはなかなか面倒だと思うので、ここでは触れないでおきたいと思います。

*4:正直なところ、私自身、大学時代にもっと深く学んでおけばよかった、と反省することが最近多いです。若い時に、難しい書物と格闘するなどして深く考える練習をするのではなく、「簡単にわかる〇〇」のような本を読んで、手っ取り早く役に立つ表面的な「知識」ばかりを追い求めていたのではないか、と。しかし、30代半ばとなった今からでも、学びを始めるのに遅すぎることはないと考えています。

*5:もちろん、この源流には、陽明学における「知行合一」という考え方が古くから存在していると思いますが、ここでは特に触れないことにします。

*6:なお、当書の中においても、瀧本氏は「実学の世界では」と条件を付けた上で、「知識・判断・行動」の考え方を紹介しています。

*7:コモディティとは、個性がなく「スペックが明確に数字や言葉で定義できるもの(p36)」であり、コモディティ化したモノやサービス(人材を含む)は安く買い叩かれることになる、とされています。

*8:大きく脱線してしまうので、監査報酬の件にはこれ以上は突っ込まないことにします。

*9:もちろん、それに加えて、監査自体には一定の社会的意義があると思いますが、ここでは触れません。全体的に、監査に限らず、社会的に必要な仕事を「コモディティ」として切り捨ててしまっているところに違和感を覚えました。

*10:スペシャリティというのは「ほかの人には代えられない、唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない、唯一の物」(p39)であり、コモディティの反対の概念であると定義されています。「スペシャリティになるために必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、まず最初に資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティスペシャリティを分けるのか、それを熟知することだ(p40)」とのことで、この考え方自体はとても有益であると思います。

*11:もちろん、現状の資本主義を所与として、その中でどう行動すべきかを論じた書籍であり、資本主義の本質的な理解につながるような内容を期待して読む本ではないのかもしれません。しかし、資本主義の本質的な理解がなく、表面的な戦術(処世術)に終始するのであれば、この世界でどう生きていくための「武器」としては不十分な気もします。