国税庁「ストックオプションに対する課税(Q&A)」を読んで

はじめに

ここ数日、信託型SO(ストック・オプション)をめぐる課税問題で、スタートアップ界隈が盛り上がっています。実務的な影響や今後の対応策等については、以下でまとまっていますので、詳しくは書きません。

信託型SOのことや今回の国税庁の対応について、非常にフラットに書かれている部分もあり、素直に同意できる点が多いと感じました。

journal.nstock.com

以下では、本件に関して、個人的にいくつか気になっている点について、備忘録的なメモとして記載を残しておきたいと思います。

国税庁の対応は本当に妥当だったのか?

Q&Aの内容

国税庁が公表した「ストックオプションに対する課税(Q&A)」を見ると、以下の記載があります。

・ 信託が役職員にストックオプションを付与していること、信託が有償でストックオプションを取得していることなどの理由から、上記の経済的利益労務の対価に当たらず、「給与として課税されない」との見解がありますが、

実質的には、会社が役職員にストックオプションを付与していること、役職員に金銭等の負担がないことなどの理由から、上記の経済的利益労務の対価に当たり、「給与として課税される」こととなります。

要するに、信託型SOは「実質的に給与だから、給与として課税する」という理屈です*1

税法における実質主義

一方、前のエントリーでも書きましたが、税務の世界には「租税法律主義」と呼ばれる考え方があり、納税者が自己の租税負担を容易に予測できるよう「予測可能性」が保証されていることが重要であるとされています。

実質主義というのは、会計の世界では当然に認められると思いますが、税務の世界では必ずしもそうではありません。「形式的には有効だが、実質的には租税回避にあたるので課税する」といったことは原則として認められないわけです。国税庁HPより引用します。

www.nta.go.jp

憲法が規定するように、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」(憲法30)のであって、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」(憲法84)のであるから、納税者は、その「何か特別なことを意図的に仕組む」ことで、自己の租税負担を最小限とする選択をしたとしても、税法上それを否定する法令上の根拠がない限り、そのような行為は、善悪といった道徳的な価値観を別にするならば、許されるものであるということになる。

 

我が国の現行税法では、学説上も裁判例上も、明文の法律の根拠なしに租税回避行為の否認は認められないものと解されているところであり、租税回避行為が行われた場合に、法令上それを防止するような個別的な否認規定がない場合には、その租税回避行為について、税務上、否認することはできないといわれている。

では、租税法律主義に基づく予測可能性と実質主義とは、どのような関係にあるのか。

以下のような考察が国税庁のHPにありましたので、ご紹介します。

www.nta.go.jp

少し長いですが、上記HPに掲載されている茂木繁一著『税法における実質主義について―その総論的考察―』p84-85より引用します。

実質主義に対する批判的見解の多くは、実質主義の主張は税務官庁の恣意的判断を招くもので、法の予測可能性(法的安定性)を害するものであるという理由から、税法の解釈原理としてはこれを全く認めないか、あるいはその存在意義をできるだけ制限的に解そうとしているように思われる。しかし、法の理念は単に法的安定性のみでなくかつ、それらの理念は相互に矛盾しうるものであるところに難かしい問題が含まれているのである。

 

流動的かつ多様化した現代社会においては、税法も他の法律と同様に目的論的解釈や実質主義の原理の適用は不可欠のものであるといえよう。そして、このような条件の中で、税務官庁側は法的安定性を維持するために、常に最大限の努力を払うことが要請されていると解され、しかもそれは単に立法の分野のみならず、行政分野においてもたとえば税法解釈等に関するゆき届いた事前指導を行なう等、十分配慮することが要請されるのである。税法は一般的に難解であるといわれている点、および現実には税法の相対的な硬直化はある程度不可避であるという点等からみて、税務官庁は法的安定性の維持の面からは、出来る限り多くの税務に関する情報を納税者に提供することが必要であるからである。

 

実質主義によって公平の理念の要請を満しつつ、かつ法的安定性を害することなくという両者の調和は、このような税務官庁の努力があって始めて達成されるのである。

 

実質主義が適用される可否については、最終的には司法の判断を仰ぐものであり、この判断(判決)の積重ねによって法的安定性と具体的妥当性の調和点が徐々に確立されていくものと解される。

要するに、実質主義は必要であるが、法的安定性と調和させるには「税務官庁の努力があって始めて達成される」ということです。

今回の件に関して言えば、「従来から給与課税の対象と考えている」と強弁する国税庁は、本当に法的安定性のために努力をしてきたといえるのでしょうか?

私自身、今回の国税庁の対応に疑問を感じていますが、その理由としては、この点につきるのではないかと思います。

税制適格SOは使いやすくなるのか?

今回、信託型SOの件と合わせて、税制適格SOの使い勝手が非常に良くなるというニュースもありましたので、こちらにも触れておきたいと思います。

結論として、会計面を考えると、現時点では行使価格を大幅に引き下げるという意思決定はしづらいのではないか、と考えています。はじめにで紹介した記事から一部引用します。

会計上の扱いについてはまだ不透明な状況です。

 

現状、日本会計基準では、未上場企業の会計処理については、税制適格SOの権利行使価額を株価以上とすることで本源的価値をゼロ(つまり費用計上なし)として取り扱ってきましたが、今回の通達改正後の会計処理についても同じように取り扱って良いかについては未だ不透明であり、国税庁からの説明でも会計士協会の見解を待ってほしい、という趣旨の回答がされていました。

 

仮に、会計上は増資等の価額を参照して本源的価値を算出するとなれば、多額の株式報酬費用が計上されることになり、PL上大きな赤字が発生してしまいます。そうなると、IPOプロセスにも大きな影響が出るほか、場合によっては債務超過の度合いが大きくなり、IPO後の資本政策にも影響が出かねません。

 

税制適格SOが税務上使いやすくなったのは間違いありませんが、会計上のインパクトも非常に大きくなることもありうるので、ストックオプションについての会計基準の取り扱いが明確になってから導入を判断する方が無難でしょう。昨日の内容を受け、会計士協会も当然動いてくれているとは思うので、できるだけ早期(できれば今年度中)のルールの明確化を期待しています。

「ストック・オプション等に関する会計基準」では、未上場企業についてはSOの「本源的価値」を計算して、これを費用化することが求められています。

ストック・オプション等に関する会計基準 13項

 

未公開企業については、ストック・オプションの公正な評価単価に代え、ストック・オプションの単位当たりの本源的価値の見積りに基づいて会計処理を行うことができる。この場合、本会計基準の他の項で「公正な評価単価」を、「単位当たりの本源的価値」と読み替えてこれを適用する。(中略)

 

ここで、「単位当たりの本源的価値」とは、算定時点においてストック・オプションが権利行使されると仮定した場合の単位当たりの価値であり、当該時点におけるストック・オプションの原資産である自社の株式の評価額と行使価格との差額をいう。

そしてこの評価額をどう計算するかは明確には定められていません。適用指針より引用します。

ストック・オプション等に関する会計基準の適用指針 60項

 

未公開企業における自社の株式価値の評価方法

 

どのような評価方法が最も適切であるかは、それぞれの企業の置かれた状況や、評価のための技法の発展状況等、様々な条件によって異なり得るため、あらかじめ適用指針において、評価方法を定めることは必ずしも適切とはいえない。しかし、ここで利用すべき評価方法は、例えば、当該株式を第三者に新規に発行する場合の価格を決定する際に用いられるような合理的な評価方法である必要があると考えられる。

結論として、純資産ベースの評価方法が税務上認められるとしても、会計上認められる余地は少ないのではないかと思われます。適用指針にて「合理的な評価方法」であることが要請されている以上、いくら日本公認会計士協会であっても、これを捻じ曲げるような運用を認めるとは考えにくいためです。

そうすると、SO発行に伴うPLインパクトを生じさせないようにするという前提であれば、結局のところ、普通株式ベースでの時価を第三者評価機関に依頼して算定して、その金額を行使価格とする、という形になります。これは従来から可能であった方法と同じです。

強いてメリットを挙げれば、従来は(税務リスクを勘案して)評価結果に若干のバッファーを乗せて行使価格を設定していたところ、そのバッファーが不要になった、とは言えるかもしれません。

いずれにしても、会計上のデメリットを考えると、しばらくは様子見をするしかないと思います。

おわりに

今回の信託型SOの騒動に関して、SNS等を眺めていると、

・自分は前から信託型SOは怪しいと思っていた

・どう考えても給与課税であり、脱税スキームである信託型SOの税務リスクを見抜けなかった経営者が悪い

など、残念な誹謗中傷や、後出しジャンケンに近いコメントがあふれています。

私自身、何の利害関係もない立場ですが*2、正直なところ、無理解に基づくコメント、節操のないコメントが多いように感じました*3

そもそも信託型SOは、身銭を切って信託にSOを拠出する創業者等が、従業員の利益を最大化することを願って導入したスキームです。利益を得るのが創業者ではないので、創業者(経営者)の脱税目的ではあり得ませんし、SOを付与される従業員側も脱税の意図を持ちようがないので、「脱税スキームに手を染めたのが悪い」という指摘は適切でないように思います。

また上述の通り、租税法律主義の観点から言えば、唐突に実質主義を持ち出してくる国税庁のやり方はとても感心できるものではないと思いますし、もし税務訴訟に発展した場合には、(実際、国側が負ける可能性は低いとは思うものの)結論がどちらに転ぶかは分からないのではないかとも思います。

なお、「東証監査法人が信託型SOを認めていたことに意味はない」というコメントも散見されましたが、これは誤りでしょう。信託型SOが給与課税となるのであれば、会社のBSに源泉徴収分の租税債務が計上されるべきです。逆に、租税債務が計上されていないBSに対して監査法人が適正意見を出しているのであれば、(重要性が乏しいケースを除けば)間接的に信託型SOのスキームがOKであるという保証を与えていたといえるのではないかと思います。その意味では、今回の件は東証監査法人にもダメージのある話であり、監督官庁である金融庁とどの程度根回しが出来ていたのかは気になるところです。

いろいろ書きましたが、今回の事例は、第三者の立場から見てもなかなか納得しにくい。当事者であればなおさらでしょう。だからこそ盛り上がっているのだろうとも思います。

本記事が、私と同様モヤモヤした気持ちの方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

*1:もちろんその裏に根拠条文は存在します。

*2:スタートアップ界隈に身を置いているので、結果的に税制適格SOが使いやすくなるのであれば、それでメリットを享受する立場ではあります。

*3:実際に「信託型SOは誰が見ても当然に給与課税だ」といった主張を良く目にします。これが信託型SOスキームを理解した上でのコメントであれば非常に有益な見解だと思うのですが、スキームを一切理解せずに発言している単なる誹謗中傷レベルのコメントの方が圧倒的に多いように感じます。