上場企業の経理マンがスタートアップに転職して感じたこと

GWということで、久しぶりのBlog投稿となります。

上場企業の経理担当者が未上場のスタートアップに転職すると、業務範囲が大幅に広がります。もちろん、経理として月次決算なども担当しますが、その割合は全業務の1割にも満たない程度でしょう*1。上場企業の経理担当者は、決算や開示などの定型業務*2が全業務の7~8割程度を占めると考えられますので、これは非常に大きな変化だと言えます。

私自身、上場企業から未上場のスタートアップに転職して、仕事の内容や進め方が大きく変わりましたが、その中で特に強く感じた点を3つ、以下に記載したいと思います。これまで上場会社における経験しかない会計士や経理担当者の方が、スタートアップ業界に飛び込む際に、参考にしていただければと思います。

予定調和的な仕事から先が見えない仕事へ

監査法人での監査業務や、上場企業での決算業務は、確かに大変ですが、スケジュールが決まっており、基本的には頑張れば終わるものです。たとえば監査業務は、繁忙期は非常に大変ですが、「時間が来れば必ず終わる」とよく言われたものです*3。これらは、ある意味「予定調和的な仕事」と言えるでしょう。

しかし、スタートアップのような不確実な環境においては、「先が見えない仕事」が多いです。経理担当者が携わる可能性のある「先が見えない仕事」として典型的なものは、ファイナンス(資金調達)業務でしょう。いつまでにいくら調達するか、目標を決めてスタートするわけですが、投資家にアプローチしても必ずしも出資してくれるわけではありません。むしろ実際に出資してもらえる割合は、アプローチした投資家のうちの1割にも満たないくらいかもしれません。

多くの投資家にアプローチしても、なかなか交渉が前に進まず、時間だけが過ぎていく*4。しかし、足元のキャッシュ残高とバーンレート*5を考慮すると、残された時間は半年もない。。。多くのスタートアップは、そんな状況の中で試行錯誤を繰り返しながら資金調達を行っていると思います。

確かに、ビジネスマンにとっては、商談とは先が見えないものですし、特に新規事業立ち上げなどを経験している人にとっては先が見えないことが当たり前かもしれませんが、経理担当者にとってはその「当たり前」が非常に新鮮な経験でした。

監査業務や決算業務は大変だけれども、頑張れば終わりますしかし、資金調達のような業務は、ただがむしゃらに頑張ったから終わるわけではなく、成果が出るわけでもありません。常に投資家へのアプローチ方法や事業計画の前提を見直し、より良い方法を試行錯誤で見つけ出す必要があります。スタートアップでは、このような「先が見えない仕事」への取り組み方を身に付ける必要があります。

専門性ではなく交渉による合意形成へ

監査法人や上場企業の経理担当者には、実はあまり交渉スキルが求められません会計基準のような「正しい基準」が存在し、基本的にはこの基準に基づく専門性を頼りに判断することになるため、グレーゾーンは存在するものの、白黒をつけやすいケースが多いと思います。確かに、監査人が会社の実態を形式的にしか判断しないため会社と監査人との議論が平行線になるシチュエーションもあり得ますが、専門性をバックグラウンドにして、同じ土俵で議論し、相手を説得できるため、比較的容易に落としどころを見つけやすいと考えられます。

しかし、通常のビジネスの交渉においては、会計基準のような明確な拠り所は存在しません。ビジネスマンにとっては当たり前のことかもしれませんが、経理担当者にとっては、このような拠り所のない交渉が苦手分野であると感じられます。

このことは社内の意思決定においても同様です。スタートアップにおいては社内ルールが確立しておらず、また経営における「正しい基準」というものは一般的には存在しないため(何々をしてはいけない、というルールは多数ありますが)、専門性をバックグラウンドにして相手を説得するという方法は基本的に使えません。そのため、スタートアップにおいては交渉を軸にした合意形成により、仕事を前に進めていく必要があります。

ちなみに、交渉に関する本は世の中にたくさん出ていますが、私が実際に読んで参考とさせていただいた本を以下に2冊だけご紹介します。

正確性よりもコミュニケーションの重視

経理担当者は「正確」であることを最優先に考えます。1円単位にまでこだわる経理担当者は、一般的に良い経理担当者だと言えるでしょう*6。「正確」であるということは、一つ一つの会計処理に対して「誠実」とも言えるかもしれません。いずれにしても、素晴らしい特性であるのは間違いないわけですが、一方、スタートアップにおいては、正確性よりも、相手にどう伝わるかということをより重視することが求められる場面が多いです。

最新の会計基準に基づく開示などは、非常に難解であり、はっきり言って会計の専門家であっても読み解くのが難しいと思われるケースが多いです(IFRSに基づく開示がその典型です)。しかし、開示書類などは、たとえ分かりにくくても、正しい基準に沿って作成されていれば問題はなく、理解できないのは読み手の技量(決算書を読み解くスキル)不足だと主張することができます。

このようなスタンスでも、監査法人や上場会社で仕事をする場合など、仕事をする相手が会計の専門家ばかりであれば、あまり問題にはならないかもしれません。しかし、スタートアップの場合、会計に詳しい人間は自分一人(もしくはごく少数)、ということが当然に起こりうるわけです。このような状況では、正確でありさえすれば良い、というわけではないことを意識する必要があります。もちろん、虚偽の説明は論外ですが、会計や法律を専門としない人たち(典型的には創業者社長などの経営陣)を相手に、本質のみを伝えることを意識する必要があります。そもそも、一般的なコミュニケーションにおいては、相手に伝わらないのは、伝える側の伝え方が悪いと考えるべきなのです。

とは言え、原則論のみを伝えようとしても、「…とは言いましたが実は例外があり、たとえばこういうケースでは…」と、どうしても正確に伝えたくなってしまうのが経理担当者の性分かもしれません。たとえば、税制適格SO(ストックオプション)について説明する場合、「権利行使時には課税されない」というのは原則として正しいですが、「行使価額が年間1,200万円を超える場合には、税制適格の要件を満たさなくなるので、原則通り課税される…」等々の例外があり、ここまで説明するかどうかは、その時々の状況に応じて判断すべきものでしょう。

いずれにしても、会計士や上場会社の経理担当者など、専門家同士で仕事を進めることに慣れている場合、「正確に説明しているのだから、こちらは正しい。理解できないのは相手の勉強不足なので、相手が悪い」という考え方をしてしまいがちなので、この考え方はスタートアップにおいては修正していくべきだと考えられます。「独りよがりな専門家」とならないよう、注意が必要です。

おわりに

約1年半前のエントリーにて、「経理マンであっても、計数面での管理を通じて、会社の企業価値の向上に貢献していくという強い意志、もしくは覚悟のようなものが求められている」と書きました。この認識は今もまったく変わりません。一言で言えば、経理担当者であっても、当然に経営レベルの視座での業務遂行が求められるわけです。今回は、もう少し具体的に、スタートアップに飛び込んだ自分の経験を踏まえ、仕事を進めるうえで、自分の中で大きく変わったと感じる3つの考え方を紹介させていただきました。

最後は、いま流行りのChatGPT(GPT-4)さんに、以下のようにまとめてもらいました。

不確実性への対応力向上:スタートアップでは、不確実な環境の中で業務に取り組むことが多く、柔軟な思考や試行錯誤を通じて問題解決能力を養います。

 

交渉力の獲得会計基準に基づく専門性が前面に出る経理業務とは異なり、スタートアップの環境では、交渉スキルを身につけることが重要です。これは、社内外の意思決定においても役立ちます。

 

コミュニケーションスキルの向上:スタートアップでは、正確性とわかりやすさのバランスを見極め、相手に適切に情報を伝えるコミュニケーションスキルが求められます。

 

スタートアップへの転職は、経理担当者に新たなスキルや視点をもたらす機会となります。これらの変化を経験し、学びを積み重ねることで、より幅広いビジネスシーンで活躍できる力を身につけることができるでしょう。経理担当者にとって、スタートアップは新たなキャリアパスを切り開く場として、大変魅力的な選択肢となります。

*1:もちろんスタートアップのフェーズにもよりますが、ここではまだ会計監査が始まっていない、いわゆるN-3期以前のフェーズを想定しています。

*2:決して単なるルーティンという意味ではありませんが、ここでは分かりやすく「定型」と表現しています。

*3:もちろん終わらないケースもありますが、それは上場廃止の可能性があるなど、非常に大きな事件が起きた場合のみに限られており、通常であれば遭遇することはありません。

*4:たとえば、NDAの締結までは持ち込んだものの、その後具体的な進展がない、というのは良くあるケースだと思います。

*5:企業が1ヶ月あたりどのくらいコストを費やしているのかを表す指標であり、日本語では「資金燃焼率」と言います。

*6:もちろん会計の世界には重要性という概念がありますが、監査人ならともかく、経理担当者が重要性の概念を多用するのは本来は望ましくないと思います。