なぜ全ての資産を公正価値(時価)で評価しないのか


この記事は主に以下の方に向けて書かれています。

  • なぜ(日本基準に限らず)BS重視といわれるIFRSにおいても、公正価値会計と取得原価会計が混在するのか、疑問に思っている学習者の方

この記事には以下の内容が書かれています。

  • IFRSの目的は企業価値の算定に役立つ情報の提供であり、PLの期間損益は、企業価値評価においてDCF法を用いる際のインプットデータとしての位置づけになります
  • 固定資産への投資においては、投下資本(取得原価)を超えた利益を生み出すことが期待されており、損益計算上、総収入が投下資本(取得原価)をどれだけ上回ったかが重要になります
  • 企業価値評価においては、個々の投資家による事業価値の算定が重要であり、そのためには公正価値ではなく投下した資本(取得原価)ベースでの利益測定が有用です
  • 現在の会計基準では公正価値会計と取得原価会計が混在する混合測定の考え方が採られているため、合計値としての財務諸表は、実はあまり意味を持ちません

のれん償却に関するIFRSと日本基準との相違や、自己創設のれんの詳細については、以下のエントリーをご覧ください。

keiri.hatenablog.jp


IFRSの目的は「企業価値算定に役立つ情報提供」

まず、BS重視といわれるIFRS国際財務報告基準)の目的について簡単に確認します。

IFRSでは、PLベースの期間損益というよりも、企業価値の算定に役立つ情報の提供を財務報告の目的としています*1ファイナンス理論において、企業価値*2はDCF法を用いて将来のフリーキャッシュフロー(FCF)を割り引いて算定するため、期間損益は企業価値評価においてDCF法を用いる際のインプットデータ*3としての位置づけになります*4

IFRSの基本的な考え方を示した概念フレームワークについては、以下のエントリーをご覧ください。IFRSでは、意思決定を行う際に有用な財務情報を提供することを目的としており、個々の投資家の意思決定に相違を生じさせることができるような財務報告が、情報価値があり有用と考えられます。

keiri.hatenablog.jp

日本基準における考え方

なぜ全ての資産を公正価値で評価しないのか。それは、固定資産はなぜ時価評価ではなく、減価償却するのか、という論点と関連します。

この点、日本の「固定資産の減損に係る会計基準」の前文にあたる意見書において、以下のように分かりやすく記載されています。

固定資産の減損に係る会計基準の設定に関する意見書

 

三 基本的な考え方

1.事業用の固定資産については、通常、市場平均を超える成果を期待して事業に使われているため、市場の平均的な期待で決まる時価が変動しても、企業にとっての投資の価値がそれに応じて変動するわけではなく、また、投資の価値自体も、投資の成果であるキャッシュ・フローが得られるまでは実現したものではない。そのため、事業用の固定資産は取得原価から減価償却等を控除した金額で評価され、損益計算においては、そのような資産評価に基づく実現利益が計上されている。

非常に分かりやすい説明だと思います。固定資産は、市場平均を超える成果を期待して事業に使われている、つまり投下資本(取得原価)を超えた利益を生み出すことを期待しており、損益計算においては、総収入が投下資本(取得原価)をどれだけ上回ったかが大事だということです*5

この観点からは、固定資産について、時価評価するという考え方は出てきません。損益計算においては、時価評価は不要ということになります*6

ASBJの概念フレームワークにおける考え方

それでは、固定資産への投資に限らず、全ての投資について考えるとどうでしょうか。これについては、ASBJ(企業会計基準委員会)が2006年に公表した討議資料「財務会計の概念フレームワーク」の説明が分かりやすいと感じます。ASBJの概念フレームワークでは、投資の性質を金融投資事業投資に分けて考えています。

財務会計の概念フレームワーク

第4章 財務諸表における認識と測定

 

21. 利用価値*7は、市場価格と並んで、資産の価値を表す代表的な指標の1 つである。利用価値は、報告主体の主観的な期待価値であり、測定時点の市場価格と、それを超える無形ののれん価値とを含んでいる。そのため、利用価値は、個々の資産の価値ではなく、貸借対照表には計上されていない無形資産も含んだ企業全体の価値を推定する必要がある場合に利用される。ただし、取得原価を超える利用価値で資産を測定した場合には、自己創設のれんが計上されることになる。

 

53. …(略)…市場価格や利用価値を、すべてのケースにおいて優先的に適用すべき測定値とは考えていない。原始取得原価や未償却原価を、市場価格などによる測定が困難な場合に限って適用が許容される測定値として消極的に考えるのではなく、それらを積極的に並列させている。財務報告の目的を達成するためには、投資の状況に応じて多様な測定値が求められるからである。資産と負債の測定値をいわゆる原価なり時価なりで統一すること自体が、財務報告の目的に役立つわけではない

 

57. …(略)…投資の成果がリスクから解放されるというのは、投資にあたって期待された成果が事実として確定することをいうが、特に事業投資については、事業のリスクに拘束されない独立の資産を獲得したとみなすことができるときに、投資のリスクから解放されると考えられる。もちろん、どのような事象をもって独立の資産を獲得したとみるのかについては、解釈の余地が残されている。個別具体的なケースにおける解釈は、個別基準の新設・改廃に際し、コンセンサスなどに基づき与えられる。これに対して、事業の目的に拘束されず、保有資産の値上りを期待した金融投資に生じる価値の変動は、そのまま期待に見合う事実として、リスクから解放された投資の成果に該当する

ASBJ概念フレームワーク特有の「投資のリスクからの解放」*8という言い回しが出てきますが、簡単にまとめると以下の通りです。

  • 金融投資:それ自体が無形の価値を含まないので時価による直接的な測定が有用
  • 事業投資:無形ののれん価値を含むので、利益などのフロー情報が有用

つまり、いつでも時価で換金できる金融投資と異なり、事業投資については、個々の資産・負債を公正価値で評価したとしても、事業全体の価値の算定にはつながらないため、むしろ利益情報が役に立つ、ということです。自己創設のれんのない金融投資には公正価値会計を、自己創設のれんのある事業投資には取得原価会計を適用すべき、とも言えます。

ファイナンス理論の企業価値評価*9と整合する、非常にわかりやすいロジックですが、実務的には金融投資、事業投資の区別が必ずしも明確でないこともあり*10、実際には一筋縄ではいかなそうです。

結論

ASBJ概念フレームワークに示されたような考え方はIFRSでは明示的に示されていませんが、IFRSにおいても混合測定の考え方が取られており、共通のものであると考えられます*11。いずれにしても、事業投資については、個々の投資家による事業価値(特に無形ののれん価値)の算定が重要であり、そのためには公正価値ではなく投下した資本(取得原価)ベースでの利益測定が投資家の意思決定に有用であると考えられます。

(追記)混合測定について

上記で記載した通り、現在の会計基準においては、日本基準・IFRSいずれにおいても、公正価値会計と取得原価会計とが混在する混合測定が採用されています。これについて、2020年4月6日の経営財務のコラム*12において、IASB(国際会計基準審議会)前理事の鶯地隆継氏が以下のように明確に述べられていましたので、ご参考までに紹介します。

混合測定では、測定基礎の異なる資産負債が混在する。あるものはメートル法で測定し、あるものはマイル法で測定し、あるものは尺貫法で測定しているようなもので、それらの数字だけを足し合わせた合計値は全く意味がない。したがって、合計値としての財務諸表は、実は、あまり意味を持たないのである。

 

…(中略)…合算した数値に意味がないとすれば、その財務諸表の中にある特定の一行、たとえば当期純利益をもって、それがその企業の業績の全てであるかのような思い込みは危険である。…(中略)…このような不整合を内包しながらも、財務諸表は段階損益や注記なども含めた総体としての有用性を保とうとしている。重要なのは、作成者、利用者などのステークホルダーが、それを十分理解して、財務諸表と向き合う事である。

*1:財務報告が、直接、企業価値を示すことを目的にしているわけではない点に注意が必要です。

*2:企業価値=事業価値+投融資(非事業資産)であり、ここでは厳密には事業価値を指します。

*3:ファイナンス理論に基づく企業価値評価は将来のキャッシュ・フローを予測するため、PLの実績数値ではなく、予想PLの数値を使うことになる点に留意が必要です。

*4:なお、ここで述べた通り、ファイナンスの世界では、会計上の利益ではなく、(会計上の利益を加工した)FCFを利用して企業価値を評価します。財務報告の主目的が投資家による企業価値評価なのであれば、最初から純利益ではなくFCFを重視するような財務会計を指向すれば良いのではないか、という意見も有り得ます。この点について、元ASBJ委員長の西川氏は、著書の中で以下のように述べています。「実際には投資家はFCFより、PLの純利益(またはそれを加工した利益情報)を指標にして将来予測を行う人が多いと言われている」「現金主義より発生主義の結果の方が有用な業績指標となるという発生主義会計誕生以降の評価は変えようがないですね。例えば、トップラインを見ても、売上高であるべきか、売上収入(現金入金額)であるべきかといったとき、情報の早さ(入金前に情報が出る)と確かさ(財またはサービスを提供済みである)が備わった売上高に軍配が上がるでしょう。仮にその売上高に関して貸倒れが生じても、何もなかったかのように売上収入が上がらないより、売上げて貸倒れたという情報が含まれた方が、情報として豊富なものといえますね。」(西川郁生著『会計基準の考え方』(税務経理協会))

*5:固定資産の取得価額は、取得時点での公正価値と一致します。一方、企業は取得価額を上回る成果を期待しており、これは使用価値と呼ばれるものです。つまり、「使用価値>公正価値」と考える場合に、企業は固定資産に投資を行うといえます。この使用価値と公正価値の差額こそが自己創設のれんとなります。どの会計基準においても、自己創設のれんの計上は原則として禁止されていますが、減損損失の計算においては使用価値の概念が出てきます。

*6:なお、上記の意見書において、減損会計も時価評価会計とは異なり、あくまで「取得原価基準の下で行われる帳簿価額の臨時的な減額」とされています。

*7:一般には「使用価値」とされることが多いですが、同じ意味として定義されています(財務会計の概念フレームワーク20項)。

*8:ASBJは、2013年12月のASAF(会計基準アドバイザリー・フォーラム)会議において、純利益の性質として「リスクからの解放」ではなく「不可逆な成果」を挙げているそうですが、この点について、当時のASBJ委員長である西川郁生氏は、上の脚注でも参照した著書の中で「リスクからの解放は個⼈的には⼤変好きな説明ですが、費⽤サイド、例えば減価償却がなぜリスクからの解放かという質問(攻撃)が国際的な議論の場で繰り返されたので、違う説明を探していました。」と述べています。(西川郁生著『会計基準の考え方』(税務経理協会))

*9:ファイナンス理論の企業価値評価においては、「企業価値=事業価値(本業の資産を活用して生み出された将来FCF(Free Cash Flow)の現在価値)+投融資(金融資産・不動産等の非事業資産)」として算出します。このとき、事業価値は個々の資産の時価(公正価値)の積み上げではなく、将来FCFの現在価値として算定されることになります。なお、ある程度会計に詳しいものの、企業価値評価などのファイナンス理論に自信のない方は、田中慎一・保田隆明著『コーポレートファイナンス 戦略と実践』(ダイヤモンド社)をおススメします。適度に専門的かつ実践的な内容でありながら、コーポレートファイナンス領域全体が非常に分かりやすくまとまっています。

*10:たとえば金融資産であっても子会社株式は事業投資となり、逆に非金融資産の投資不動産は金融投資にあたると考えられるなど、単純に金融資産=金融投資となりません。このあたり、企業価値評価の実務においてはある程度割り切っているのだと思いますが、客観的な規範性が求められる会計基準にまで落とし込むのはなかなか難しそうです。

*11:秋葉賢一著『会計基準の読み方Q&A100(第2版)』(中央経済社)p56より。

*12:「暖簾に腕押し IFRS COLUMN 第7回 会計基準の役割(その4)」より。