付加価値を生む仕事とは

突然ですが、管理部門の仕事は付加価値を生んでいるのでしょうか。私は管理部門に属する経理マンですが、経理業務は実は付加価値を生んではいないのではないか、最近ふとそんなことを考えていました。

経理マンは付加価値を生んでいるのか

商品を企画し現場で売上を上げるビジネスパーソンや、製品を製造する工場で働く人たち、または新たなイノベーションを起こそうとしている研究者など。彼らが社会に対して付加価値を生んでいること異論の余地はないでしょう。そして彼らの行動をサポートするのが管理部門の役割であります。

一方、経理マンとして頭を使う仕事といえば、たとえば複雑な契約や取引を整理して、会計基準にあてはめて結論を導き、監査法人と協議し合意を取り付けて、会計処理に反映させる、などがあります。高い専門性がないとできない仕事であり、確かにやりがいもあるのですが、これは本当に付加価値のある仕事なのか、そんなことを考えたりするのです。

ちなみに私の古巣である監査法人は、そんな経理部門をカウンターパートとしてサービスを提供しており、企業の現場で生まれる付加価値から、さらに遠いところにいます。

もちろん経済学的な付加価値の定義*1に基づくと、監査法人も収益を上げているのだから、当然に付加価値を生んでいます*2。だからこそ給料をいただいているわけです。それは企業の管理部門も同じでしょう。実際、上場企業の管理部門ともなれば、それなりのお給料をもらって仕事をしており、相応の付加価値を提供しているといえるはずです。もし仮に管理部門の業務をアウトソースしたとしても、アウトソース先にお金を支払わなければならないので、その観点でも付加価値があると言えます。

付加価値と社会的な意義

経済学的な定義とは別に、「付加価値」という言葉は、日常的によく使われる用語でもあります。それは社会的に意義がある、社会に対して新たな価値を提供する、そんなニュアンスが含まれているように思います。

しかしながら、経済学的に定義される付加価値と、社会的な意義は一致しないようにも思います。何度も監査法人と協議を繰り返した結果、複雑な取引が会計的に整理され、文書化できたとして、社会的に何か意味があるのでしょうか。

もちろん上場会社の経理部門は、会社が上場を維持して、資金調達を行ったり、社会的信用を維持したりするために必要な仕事をしており、当然に必要な仕事であると説明されます。文書化を行うのも、投資家への説明や当局対応を行うなど、第三者に対して公明正大に主張を展開するため、必要なことです。しかし、さらに一歩踏み込んで考えると、その仕事は社会的にどのような意義があるのでしょうか。誰かの役に立っているのでしょうか。

どうでもいい仕事(Bullshit jobs)

しばらく前に知った言葉として、”Bullshit jobs”という単語があります。イギリスの社会人類学者David Graeber氏の書籍のタイトルとなっているこの言葉は、直訳すると「クソどうでもいい仕事」という意味であり、消えてしまってもたいして困らない、無意味なくだらない仕事を表します。世の中、このような仕事で溢れており、さらに本当に役に立つ仕事(保育士や看護師など)よりも高い給料をもらっている、というのがこの書籍の主張で、具体的なBullshit jobsとしては、金融サービスや法律コンサルタントなどが挙げられているそうです*3。詳しくは、以下の記事をご覧ください。

gendai.ismedia.jp

いまの私の仕事はBullshit jobなのではないか、なくなっても社会的に困らないのではないか、この記事を読んで、そんなことを考えさせられました。

まとめ

現在私は小さなベンチャー企業に在籍していますが、私自身は、会社の活動そのものに社会的意義が認められるのであれば、それをバックアップする管理部門の仕事も当然に社会的意義があると考えています。大企業になると、会社が社会的意義をもたらす活動と、自らの目の前の業務との乖離が大きくなり、結果として自らの仕事に社会的な意義を感じられなくなってしまうのかもしれません。

新年早々ややネガティブな話題となってしまいましたが、自らの仕事がどのように社会に対して付加価値を生み出しているのか、社会的な意義とのつながりを常に頭に置きつつ、これからも仕事をしていきたいと思います。

*1:企業が生産によって生み出した価値であり,企業の総生産額から,その生産のために消費した財貨や用役の価額を差引いた額。(コトバンクより引用)

*2:通常、「付加価値額 = 営業利益 + 人件費 + 支払利息等 +賃借料 + 租税公課」などと計算されます(加算法による計算)。つまり、営業利益がプラスであれば、さらに人件費を加算するので、付加価値額は当然にプラスとなります。

*3:他の例として私が思いついたのは、グローバル企業にサービスを提供する節税コンサルタントです。各国の税法に精通し、企業の支払う税金を極小化すべく、節税スキームを考える人たちです。間違いなく知的水準の高い人にしか務まらない仕事であると思いますが、国に支払う税金が企業に留保されたとしても、それは国と企業との間のゼロサムゲームであって、社会全体に対して何らの価値も生んでいないようにも見えます。彼らは知的水準が高く、高収入を得ていたとしても、社会的な意義はほとんどないように思います。